i)1893~1905(明治26~38)年頃の間、は、地名にちなんで「平田ナイフ」が製造されていた
ii)平田ナイフは(今でいう)肥後守とは異なり、西洋ナイフに近いものだったが、これにもすでに「肥後守」の文字が打たれていた
iii)1905(明治38)年頃、平田ナイフにかわって「肥後守」が生産されるようになった
iv)「なぜ肥後守か」という名の由来を推理するより、「肥後守と名づけてから」どのようにこだわりを持ち続けてきたか、ということに意味がある
v)すなわち、粗製濫造を防ぎ結束して肥後守の品質を守った姿勢は高く評価されるべきである
vi)刃物追放運動は明らかに誤った運動であった